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2010年10月29日 (金)

スラチャイ体験談

ここまで極端ではなかったけれども離婚した後のスラチャイの生活はこの人と似たり寄ったりの生活でした。
バンコク、パタヤに飽きあきしていた。このままじゃダメになる。こんな生活で一生を終わらせるのはいやだ。
それで昔一度だけ旅行してことのあるイサーン(タイ東北地方)をめざしました。1999年10月の話です。
チャイヤプームの片田舎で現在の妻と知り合ってから、ようやくまっとうな道を歩めるようになりました。
中には飲み屋の娘と知り合って長い間幸せに暮らしている人もいるようです。
特にファラン(白人)はほとんどこのケースだと言うことが出来ます。
タイ人と結婚して幸せに暮らすことをめざしている日本人男性はバンコク、チェンマイ、パタヤ、プーケットで働くバーの娘は対象からはずしたほうが良いと提言いたします。幸せになれる確立がグット落ちるからです。
(スラチャイ体験談)

cite from http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/4317/

私の場合タイで知り合う女は 飲み屋のおんな ばかりで
昼間働く おんな には縁がありません。
「縁」が無いのはタイ社会との交わりが 仕事をしていない為に接点が ない。
それに、タイ語も あんまり話せない から。
普通のプロセスで タイ女性に接して友達になる という、普通の出逢いが持てない状態になっているからです。
住んでいるところも小さな日本人コミュニテイ という環境の中で引きこんでいる のも 問題です。
そんな「極端に偏っている人間関係の中で生活している」
それは、ただ単に 在タイの月日が加算されるだけでいつまでも 日本の価値観でしかモノを測れない。
というよりも、日本の価値観と タイの価値観を都合良く 使いわけてずるく立ち回る。
そうゆう「ずるく立ち回る事」を学習し 真似る事が 生き方になる。
「ずるさ」を容認する事が タイの価値観だとタイ人にレッテルを貼り タイ社会を傍観し評論する。
そんな「ばか話」が「酒の肴」の 暇つぶし。
そのうち 勘違いが助長され狭い了簡でタイ社会を眺めるようになる。
「自分の都合を優先させる」のみ。
そんな 思考だから結果、まともな タイ人や在タイ日本人との付き合いが無くなります。
このような一種独得な環境と精神構造に慣れて行くなか、「もう これで良いや」と精神的に。
今の状態に甘んじようとします。
これは一種の思考停止状態と言える のです。
そんな思考停止状態のときに 出逢う女。
ただ商売として話を合わせてくれる女は、頼もしく、母親のようである。
タイの事は何でも知ってて、 今の自分を包んでくれる。
はじめは「我がままの 言い合い」も許せるけれど、自分に「都合良い 人間関係」ってのは、お互い それだけのモノ。
それ以上の モノ は無い..............。
このような 一種の思考停止状態は誰にでも 訪れます。
恋を演じることに疲れて等身大の自分が現われる。
そんな自分を受け入れてくれたとき、また 新しい「旅」がはじまる。

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